「災害関連死」。
数日前の新聞記事で、この言葉を見ました。
台風15号から始まった、令和元年の災害。私の住む鋸南町は、大きな被害を受け「激甚災害指定」となりました。
激甚災害、罹災証明、一部損壊、半壊、全壊…。日常では、あまり聞くことのない言葉やテレビや新聞でしか見たことのない「被災地」の風景を目にすることになりました。
今まで暮らしてきた日常が、文字通り、損壊する瞬間はきっと体験した人でないとわからないことなんだと思います。それらが与える、負荷や心労は命を奪うには充分なものなのだろうと思うのです。
高齢化率が高い安房地域では、高齢者が独居や夫婦などで住まわれてることが多く、なにもない日常であっても日々、生きていくことが大変であるケースが多い。質素な生活で、病気などもありながら、一生懸命に慎ましく暮らしています。
毎日がギリギリで、数百円、数十円の差を切り詰めて、なんとか年金で生活しながらギリギリ病院に行けて、なんとかクスリを飲めるなんて方もいるんです。天災は容赦なく、ある意味、平等に降り注ぎます。その人がどんなに大変だろうと、頑張っていようとお構いなしに。
台風直後に、停電のために熱中症で亡くなられた方もいました。台風の雨風から助かりながらも、それ以外の要因で亡くなる無念はどれほどのものだろうか。本人や家族だって「仕方ない、災害だから」なんて言葉で割り切れるものではないと思います。
災害から一年以上経っても屋根の壊れた家で生活している人がいて、ボランティアで支援を続けていました。その方は、家の補修完成の朝、それを見ることなく亡くなりました。
遺族は、「あいつは、壊れた屋根や天井を見るたびに怖がったり、不安になったり、泣き声みたいな声だしてたよ」と話していました。
不安にかられて、食事は減り、睡眠不足や通院もちゃんとできていなかったらしいのです。不安や怖さは人それぞれで、他人が推し量れるものではありません。
仏壇の写真を見ながら、「俺たちの命なんて、こんなもんだよ」と話す、その一言には返す言葉がなく、私も黙ってしまいました。災害は、ひたすらに恐怖や絶望を与えてくるのです。
だから、その後に、なんとか僅かでもなにか繋ぎとめるものがあれば、このような災害関連死は減るのではないでしょうか。
大変な時は遠慮なく頼れるなにか、無理して頑張らなくても、今は休んで良いよと言える環境が大事なのではないかと思います。
あとは、人と人とのささやかでも良いつながり。絶望しないなにかを見つけて、手を差しのべられるようにと。新型コロナの感染が広がる中、人と繋がることが難しい時代になりましたが、本当に大切なことを見失わないことと、他人の辛さや感情を感じとれること。頭の中で、ぐるぐる考えているだけでなく、取るべき行動はとること。
正直、私はちゃんと出来てなく、怒られたり、嫌われたりもしているけれど、少しでもこの災害で経験し学んだことを、今後に生かしたい。亡くなったり、苦しんだ方々のためにも。災害関連死なんて、言葉がなくなりますように。
(記事執筆=当団体代表、堀田了誓)