コラム(10)~激甚災害から1年8か月が過ぎて

令和元年台風15号発災からの活動について、個人的主観を含め、現在どのような状況になっているのかを含め、お伝えします。後半では、先日訪問したお宅でのできごとなどもお話しさせていただいておりますので、最後までご覧いただければ幸いです。

2019年9月9日、台風15号(のちに“令和元年房総半島台風”と名がつく)に襲われてから、1年8か月の時がたち、あと数日で1年9か月になります。

当団体が活動する、千葉県安房郡鋸南町は、住家被害世帯率が68.4%であり、およそ7割の世帯が被害を受けました。

鋸南町の風土と環境

ここ鋸南町(発災前人口7879人)が、どのような風土であるかというと、北側に鋸山(のこぎりやま)がそびえ、安房(あわ)地域の入り口であり、北に山を抱えているおかげか、温暖な気候です。

西側には海岸線が広がり、漁港が栄え、町の中心部は漁港から近い南西部にあります。

東側一帯は、農村部が広がり、豊かな里山には日本水仙が12月には咲き誇り、房州枇杷の産地でもあります。

30年ほど前までは、海水浴客で賑わいをみせ、夏には海岸に近い多くの民家が季節民宿を営んでいた場所でもあります。

台風発災の規模

さて、前置きが長くなりましたが、そういった田舎町に、かつて経験したことのないような台風が襲ったわけです。

(2019年9月18日撮影 発災9日後)

先ほどの話しに戻りますが、住家被害世帯率は68.4%で計2510戸が被災。内、一部損壊家屋が2144戸。全壊16戸、半壊334戸です(R1.11/13当時 県防災危機管理部発表)。

温暖な気候で、近年大きな災害がなく、茅葺屋根の上に板金屋根をかぶせた家屋や、古くから立つ家屋が多い町。季節民宿を営んでいた当時の大きな家屋の多くが被災したことになります。農業資材を入れる納屋、牛舎、倉庫、空き家など、住家ではない建物も多くある場所です。

少子高齢化が顕著で、千葉県で2位の高齢化率である町が“被災”するとどうなるのか、お察しの通りでしょう。

激甚災害になると、いろいろな制度が使えるのですが、「住家の一部損壊」という大きなハードルを乗り越えるのは容易ではありません。「自己責任」という大前提があるとしても、代々引き継いできた家屋、その中でのつつましやかな生活が、一夜にして戦場と化したといっても過言ではありません。

台風災害と関わるうえで見えてきた現状

ボランティアの方々のおかげで、急性期を乗り越え、復興期となり、現在は町の中一帯に広がっていたブルーシートで覆われていた家屋も、だいぶ減ってきたように“一見”思えます。

しかし、実情はどうでしょうか。

ボランティアセンターの運営支援をさせていただいているからこそ見える現状を、お伝えしたいと思います。

(2021年6月現在の鋸南町保田地区)

実際、多くの世帯は屋根の修理が終わり、発災前の生活に戻っているようにみえます。しかし、それは罹災証明を提出し、災害保険に加入しており(もしくは潤沢な資金があり)、制度を利用できた方でしょう。

そこにたどり着けない方が、どうなっているでしょうか。

例えば年金暮らしで保険加入が難しい方、住家は何とか治ったが、納屋や倉庫、牛舎にまで資金が回らない方、住宅の一部を民宿として営んでいた大きな家屋をお持ちの方、病気や障害をお持ちの方、独居の高齢者、空き家となった家を相続した方。または、相続放棄をした方(相続放棄をしても管理責任はあり)。

他にも多くの理由で、本修理の見込みが立たない家屋、住家が残ります。法制度については、専門家に任せるとして、そのような家屋を直したいけれど余力がない、母屋を直すので精一杯……。

しかし、放置しておくことで、周りの住家に危害を及ぼすかもしれないという不安とともに、生活をされている方がいらっしゃいます。

そして、自分の家屋は修理を終えたが、となりの放置された空き家の屋根の瓦が飛散したまま……。そこで、生活を余儀なくされる方も、多くいらっしゃいます。

台風災害による精神的不安

台風は、自分の所有物が、人の財産を傷つける恐れがある災害です。

その災害を経験した68.4%の住家にお住まいだった方は、その不安をすでに経験しており、今年もまたくるだろう台風に怯える、または備える生活を余儀なくされます(備えることは非常に重要なことなので、現在当団体でも力を入れている活動のひとつですが、それはまた別の機会に)。

(2021年5月)

「近所のブルーシートが切れたままで、風が吹くとはためく音を聞くのが怖い」

「風が吹くことが怖く、ニュースの天気予報で風向きや強さを、とても意識するようになった」

「こわい……雨風の強い夜中に、ひとりでいるのがこわい……」

「隣の家の屋根が落ちてきそうで、どうにかならないかなぁ」

そういった声も、現地調査へ伺うと、未だに耳にすることが多いです。

現地調査時には、“傾聴”が重要だと考え、寄り添うことにより、ひとりではないという安心や、行政につなげられる糸口を見つけること、お繋ぎすることも大事な活動のひとつとなっています。

外から見えないカビ被害

そしてまた、

「他の家は修理が終わっているのに、自分の家はまだ本修理の番が回ってこない」

「屋根を直すのがやっとで、室内にまでお金をかけられず、カビが出てしまっている」

という声も、多く耳にします。

家の中でのことなので、中々連絡をしにくい方もいらっしゃいます。

そういったことをふまえ、雨漏りの連絡などをいただくと、必ず現地調査時には、カビが生えていないかお聞きし、被災者さんの了解を得て、中に入らせていただいています。

(屋根の破損により雨漏りした室内の状況のひとつ)

現時点での主観としては、雨漏り再発などの連絡をいただいたお宅のほぼすべてのお宅で、何らかの形でカビが出てしまっている、または天井がはがれてしまっているなどの処置が必要な状態なので、カビ除去団体さんへと、お繋ぎさせていただいています。

1年8か月が過ぎて、支援者にとっての喜び

先日、個人的にうれしかったことを最後にお伝えしたいと思います。

(画像は現地調査時のイメージです)

その方との出会いは、昨年の春先。発災から半年が過ぎたころ。半壊となり、雨が漏れ、畳がふやけ、室内もカビが生えていた方のお宅を訪問したのがはじまりでした。(その前に土のうとブルーシートでの養生はしてありましたが、剥がれて朽ちていました)

当団体の広報誌を手に握りしめ、力なく椅子に腰かけ、自分がふがいないと責め、せきを切ったかのように不安なことや、生活のあれこれ、先が見えないことへの憤りなど、様々な感情を見せながらも、小さく肩を落とされていました。

その後、ご自宅は解体され、転居することになりましたが、転居先も雨漏りがしていることがわかり、これ以上使える制度もなく、ボランティアさんにお手伝いしていただくことになりました。

当時、傾聴することにより、少しずつ、ご主人の顔が明るくなったのを思い出しますが、それは昨年の5月終わりころ。

本修理の見込みがない方でしたので、1年経過したこともあり、現在どのように生活されているのか気になり再びうかがうと、1年前とは全く違う表情で、目をキラキラとされ、明るいまなざしで

「雨は漏ってないよ!」

と。

ただ、日差しや風雨による経年劣化がみえてきたので、もう少ししっかりした形での張替えのお約束をし、現場を後にしました。

お宅を間違えてしまったかな?と思うような、ふっくらと艶やかな顔に、軽やかな声を聞き、こちらが元気をいただきました。

脱被災地、復興へ向けて

被災者支援への、賛否両論や「まだやっているの?」という地域内外からの温度差をときおり感じながらも、復興半ばの鋸南町で支援活動を継続していく意義を、改めて感じることができました。

当団体ができることは、とても少ないかもしれませんが、被災地で継続支援してきたからこそ見えるものが出てきたと思います(他地域の諸先輩方には頭が上がりませんが……)。そして、活動団体さんや、様々な方のお力添えがあってこその支援活動です。

脱被災地となるには、まだまだ先のこととなるかと思いますが、家屋だけではない、人と人とのつながりや、その地域で生活される方々の生き生きとした表情、笑顔がみえること、この地域で生活できる喜びこそが、“復興”だと考えております。

微力ではありますが、粛々とできることを続けていきたいと思います。

激甚災害からの1年8か月。道半ばの鋸南町の今をお伝えしました。

副代表 笹生さなえ

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